内容が結構ネガティブになっているので、あまり自分の過去をオープンにしたことがなく、躊躇いましたが、これを最後まで読む人は少ないかと思いますし、私のネガティブ要素全て書き出します。
誰しも持っているであろう辛かった過去、この際打ち明けてしまおうと思いました!!
(超々長文です。)
日本にいた頃、学校での生活が軸にあり、中学生の時は学校からバレエスタジオに直行して、夜の10時過ぎまで練習して自宅に帰る日々を送っていた。
その忙しさが自分のモチベーションだった。
テスト勉強を電車の中でやり、宿題は休み時間で済ませ、バレエをしているときはバレエに集中する。全てバレエを中心に考えていて、栄養学や解剖学の知識もそれなりにあったし、努力を努力と思わなかった。むしろ努力していると思われたり、自主練や勉強をしている姿をほかの人に見られたり、知られたりするのが嫌で、「なんでもできちゃう子」でいたい頑固な中学生だった。
成績はどちらかというといい方で、学校で友達とのいざこざがあっても、自分にはバレエという別の世界があったからしっかり向き合うこともできたし、スルーもできた。
そしてバレエ留学。日常そのものをバレエ漬けにした途端、日々の頑張りがストレスになり空回りしてしまう。
毎日のスケジュールは、朝8時からバレエ史または音楽の授業、その後バレエのクラスを3時間、お昼休みを挟んでパドドゥのクラスを2時間、その後コンテンポラリーやボディーコンディショニング、インプロ、のレッスンを3時間程やって、寮に帰るのが午後7時頃。
そして毎週水曜は、英語学校へ行きスイスの歴史の授業。栄養学や解剖学、就職についての授業もあった。それを月曜日から土曜日まで3年間ひたすら繰り返す。
二ヶ月に一回は筆記の試験、年に二回実技試験があり、1から6のマークを貰う。
ランダムに開催される体重チェックは、BMI18をオーバーするとパドドゥのクラスを受けさせてもらえない。
体重オーバーで見学している友達を見ていると、そうなりたくないと思い、摂食障害気味になっていたし、逃げ場のない寮での生活と、自分の骨格コンプレックス、身長・体重の数字にストレスを感じながら過ごす。
スタイル重視のこの学校では、バレエを踊るべくして生まれてきたであろう選別された生徒がそろっていた。周りの恵まれた骨格、日本人である私の骨格。毎日鏡を通して突きつけられる現実に参ってしまっていた。
退学する人は少なくなかった。退学の基準は、低いマークを連続で貰う、または体重オーバー。でもほとんどは怪我などのフィジカル面が理由だった。今思えば、フィジカル面が問題であったであろう退学理由は全部メンタルから来ていたのではないか、と思うくらい、学校を去っていった人を思い返すと心当たりがある。
そんな中でも私は乗り越えなければならないと、寮に帰ってからワガノワバレエスクールのエグザム動画を見たり、体感トレーニング、マッサージ、ヨガなど…
相当もがいていた。
留学中、踊っていて楽しいと感じたことが一度もない。最初の年のルームメイトとは上手くいかず、陰口を言われ、当時英語を流暢に話せなかったため言い返すことも、他の友達を作ることもできず、人間不信になり、自分を卑下する日々も続いた。
この時すでに、私はこれからの学校生活、親友と呼べる友達はできないと悟った。
笑っていてもどこか周りと自分を比べては負い目を感じていて、常に穴があったら入りたいと思っていた。
三年目、卒業の年、私はKPOPという新しい趣味を見つける。クラシックとは違う新しい曲調、新しい振付、新しい言語。バレエと離れた趣味を持ったのはこれが初めてだった。
ハマってからは日常そのものが変わり始めた。レッスン中廊下に追い出されることがなくなり、今まで一度も褒めてもらったことがないのに少しずつ褒めてもらえる時が増えた。 それまで趣味がバレエであったため、思考も娯楽も全てバレエに向いていたことが良くなかったことに気付かされる。
私が思うに、日本では、一つの何かをとことん極めることが美徳とされていた。周りからはバレエを頑張っていると褒められるし、別の何かをやれと言われることもなく、なんの問題もなかった。
ただ、私には合わなかった。
何か一つに全力投球すると自分が壊れてしまう。 もし自分が100%、なにか一つに全力投球すると壊れてしまうとしたら、視野を広げて分散させるべきだと、この時学んだ。 それは今でも変わらない。 コロナ禍を経験して変わった面もあるが、自分が、何に、どれだけ時間と労力を注ぐのかの比率がとても重要なことだと感じた。
そんなプラスな心境の変化を感じつつも、いつしか「卒業」することがこの学校にいる目的になってしまい、バレエを続ける意思がこの頃皆無だった。
卒業生はオーディションへ行き、卒業後就職するバレエ団を見つけないといけない暗黙の了解があり、それを理由にオーディションに行きまくった。ほぼ全部壊滅的な結果だったが、学校にいたくないからオーディションへは頻繁に行っていたし、たまたま引っかかったドイツのバレエ団のジュニアカンパニーへ行くことが決まる。
バレエをやめるつもりでいたが、新しい環境に行けば自分の心境も変わるかもしれないと、少しの希望を信じてドイツへ行くことにした。
そしてドイツのバレエ団に来て一年目。そんな希望は早くも打ち砕かれる。
初めてやる演目がまさかのミュージカル、キャバレーのバックダンサー。しかもキャストではなく、代役。
え、バレエは…?
スタジオの端っこでバレエではない振り付けを覚える。舞台リハーサルでは同僚が踊っている様子をただ客席から観ているだけ。
私が心身削りながら過ごしてきた、スイスのバレエ学校での三年間はなんだったのか、現実ってこういうことか、と人生捨てようか迷った瞬間であった。
劇場付属のバレエ団であったため、ミュージカルやオペラのバックダンサーをすることが多くなることを、当時の私は知らなかった。 バレエ団の正規団員がやりたくないであろう、バックダンサーの仕事が、全てジュニアカンパニーに回されていた。
何より疑問だったのは、同僚に英語を話せない人が多かったこと。
この現状には諦めの感情の方が強く、意思疎通できなくても、もはや話しかけるしかなかった。
人と関わるのが嫌いだと思い込んでいた時期でもあったし、今まで一匹狼として生きてきたため、何より念願の一人暮らしができたのは、正直嬉しかった。
バレエ学校にいた時とは一日の予定も過ごし方もガラッと変わり、午後から何も予定がない日が多くあった。今まで学校が決めた詰め詰めのスケジュールを、淡々とこなしてきた私に急に時間ができ、何をすればいいのかわからなかった。住んでいる場所が割と田舎の方ということもあり、とても静かで、将来のことを常に考えてしまっては不安になり、ストレスが溜まり、過食気味になる。その罪悪感でまたストレス、考える、過食、のループをほぼ毎日、永遠としていたと思う。
日照時間が少ないヨーロッパでは、冬場は特に気を付けないと鬱になりやすい。行動する気力がなくなっていて、身の回りのこと全てが面倒だと思うようになっていた。今この時を振り返ると、私は鬱になりかけていたと思う…
それから一年が経ち、ドイツ生活二年目。周りの人間関係に変化があった。英語を話す機会が戻り、コミュニケーションをとることが楽しいことだと感じ始め、この頃から一人である自分を変えたいと思うようになる。
モチベーションの高い友達に囲まれて、留学して以来、心の底から笑っていなかった私が、日本にいた時のように心から笑える日が来た。この時、いくら自分に自信がなくても、最低限今を楽しもうと思い、イエスマンになると決めた。
そうして間もなくして誰しもが予想できない事態、コロナウイルスが流行りだす。
コロナのロックダウン中、劇場は締まり、予定されていた公演もリハーサルも急に無くなった。毎日のレッスンもない。元々この年は、バレエ団との契約満了の年で、このまま契約もビザも切れて、あとはただ日本に帰るだけだと、肩の荷が下りた。バレエから離れたいとずっと思っていたし、一日中自分の時間ができて、すごく嬉しかった。KPOPのカバーダンスを踊ったり、歌ったり、YouTube鑑賞したり、絵をかいたり、、、たくさんのことに興味が持て、今ではそれが私の趣味になっている。
そんなある日、一本の電話が入る。バレエマスターからの急な電話で、
「ディレクターが来シーズンも契約するって言ってるけど、どうしたい?」と。
それは衝撃的すぎる内容だった。
日本へ帰る気満々だった私はすぐに答えが出せず、私ともう一人、契約延長の話を受けた友達に電話をし、どう返事したか聞いたところ、来シーズンも残ると即答したと言った。
私の本心は日本へ帰りたい気持ちで一杯だった。
だが、ふと我に返った時、日本へ帰ったところでやりたいことが何もない。
日本でバイト尽くしの生活になるならば、お金は日本でバイトするくらいなら余裕で貰えるし、バイト生活より自分の時間が作れる方がいいと思った。退去の手続きや、銀行口座を閉じたり、解約しなければならないことが面倒という理由もあったし、なにより、友達は来シーズンも残ると即答しているのに、私が母国に帰るのはプライドが許さなかった。
そしてまた衝撃的なことが起こる。
以前から仲良くしていた友達から、一緒に住もうとの誘いを受ける。
昔の自分だったら断固拒否していたと思うし、実際誘いを受けた時点では断っていた。
ただ、未来の自分が人生を振り返った時、ずっと変化のない生活をしている自分を思い返すのか、失敗し続けてでも挑戦している自分を思い返すのか、、、悩んだ結果、私は後者を選んだ。
いくら引っ越しの手続きが面倒でも、人と住むことにストレスを感じても、誰かと住めるのはこれで最後かもしれないし、二人暮らしをしてみると決めた。
この選択は大きかった。私は誰とも一緒に住めないと、寮での生活で感じていたが、住む人によってはこんなに快適に過ごせるのだと、実感した。今のルームメイトには感謝してもしきれない。まず、一緒に住んでみようと提案してくれたこと。私に変化のある決断をさせてくれたこと。
時が止まったような生活から引っ張り出してくれて、本当にありがとう。
コロナのパンデミックが起きたことを喜んではいけないと、わかっているけれど、コロナ前の私は心が死んでいた。
コロナのロックダウンのおかげで、今の自分に大きな変化をもたらしてくれた。
ロックダウン明けの公演では、久しぶりにクラシックバレエを踊れて、踊る楽しさを久しぶりに味わえた。バレエが楽しいと思える日は二度と来ないと思っていたのに、今までやり続けてきたことをもう一度楽しめた。バレエに対する想い、自分自身の人生。初心を思い出す前にバレエを辞めなくてよかったと、強く思う。バレエなしでは語れない私の人生なのだから、辞める時はせめて、バレエを好きでいたい。
スイス留学中やドイツで働き始めた頃とは比べ物にならないくらい、メンタル面はすでに良くなっていたが、それでも尚、現状の自分に不満があった。このバレエダンサーという職から離れられなくて、変化したいのにできない自分が理解できず、本当に何がしたいのか、いつまで経っても明確にならない私自身に腹が立っていた。
ある連休中、ルームメイトとベルリンへ出掛けた電車内。
そこで私は「Webデザイナー」という職業に興味を持つ。
「フリーランス」、
「ノマドワーカー」。
今まで深く知ろうとしなかった世界、なれる可能性なんかないと思っていた世界。
でも、なぜかスマホを持つ私の手は動いていて、調べていくなりワクワクした。
こんな働き方ができるんだ!
それを知ってしまった以上、やらざるを得ない!
でもやっぱり、今まで積み上げてきたものと全く違うことを始めるって、正直言って不安ではある。
なんせ私は4歳からずっとバレエを踊ってきた。
長時間踊ったり、動くことが得意である私にとって、長時間座ってパソコンと向き合う集中力があるとは思えなかったし、コロナ以来競争率が激しくなっているこの業界で続けていけるのか、職にできるのか、悩み出すと止まらなかった。
やらなきゃわからないじゃん。
やらないと、変わらないと、行動しないと。
今まで悩みに明け暮れていた過去と、変わりたいと強く願っていた自分に火が付く。
私の変化と
根拠のない自信。
今の私には生きてみたい生き方がある。
世界中を旅しまくる。
友達と行きたいところに行って、会いたい人に会いに行って、両親を家族旅行につれて行く。
そしていつか、いろんな人を巻き込んで、大きなプロジェクトを立ち上げる。
私のデザインが、たくさんの人に触れる日が来る日を信じて。
Web制作を、生きる基盤にしていきたい。
私のこの文章をここまで読んでくれた人がいるのかどうか(笑)わからないけれど、ここまで読んでくれたそこのあなた、お疲れ様です^^ どのような形で捉えられたのか、ちょっと気になります…
私はバレエとは全く関係のないところまで視野を広げてしまったけれど、いろんなことに興味を持つことで、それがきっとあなたの支えになる。もし今何かに行き詰まっていて、あなたの背中を後押しできていたら幸いです…
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
AYA's STYLE
#世界を旅するノマド女子(仮)
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